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ちょっと趣向をかえて、
築少研究会の外部ブレーン(?)に情報提供を依頼して、
建築少女の問題系を考察する上でおもしろい洋書を紹介してみましょう。
まずは、ケンブリッジ大学出版局の一冊。

Charles Burroughs, The Italian Renaissance Palace Facade: Structures of Authority, Surfaces of Sense, Cambridge U.P., Cambridge, 2002.(『イタリア・ルネサンスの宮殿ファサード:権威の構造と、意味の表層』)

目次は、以下です
1:The Forked Road to Modernity: Ambiguities of the Renaissance Facade.
2:Domestic Architecture and Boccacian Drama: Court and City in Florentine Culture.
3:etween Opacity and Rhetoric: The Facade in Trecento Florence.
4:The Facade in Question: Brunelleschi.
5:The Bones of Grammar and the Rhetoric of Flesh.
6:Setting and Subject: The City of Presences and the Street as Stage.
7:Bramante and the Emblematic Facade.
8:Facade on Parade: Architecture between Court and City.
9:From Street to Territory: Projections of the Urban Facade.

イタリア・ルネサンス建築のファサードに焦点をしぼって、それを
形態的な変遷のみならず、社会学的視点もとりこんで、
建築の顔たるファサードにこめられたシンボロジーや政治学などにまで
問題の射程をひろげて論じた、篤実の一冊。

HP本体の築少概論でも書きましたが、西欧の建築にとって、建物は明確な正面性を
もつものであり、その正面こそは、建物の顔=ファサードとして、
華麗にかざりたてられてきたのでした。

これに対し、日本建築には、明快なファサードの観念が、
欠如しているように思われます。軒が深く、
壁面も凹凸がはげしく、開口部も大きくあいているため、
一枚の膜といったかんじがしません。

対して西洋のファサードはまさに顔として、
ときには、意識的に人間の顔に似せてデザインされることさえ
ありました。
いやそもそも、建築そのものを、人間身体との類比で
とらえていたのですが、これまた、日本建築にはみられない
概念です。

そんな、建築ファサードの観念史を考える上で
興味深い一冊を、紹介しました。

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たいへん遅ればせながら、
次の本を、ようやく手にとって見る機会がありました。

→五十嵐太郎、『現代建築に関する16章〈空間、時間、そして世界〉』、講談社


帝網のY氏から、この本に当サイトの記述がある、
と教えていただいていたのですが、
なかなか実物に触れることができませんでした。

五十嵐氏の記述は、「オタク系の建築学生が…」という点を
のぞけば(笑)、当研究会の活動を非常によく概括してくだ
さっており、ほっとしました。


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